2011年11月26日土曜日
ハナちゃん
結局お墓は、学内ではなく、仲間の猫たちと同じ深大寺の霊園になりました。二年前に逝った茶々も、今年の正月に逝ったしんちゃんも、若くして不慮の事故に遭ったのでした。危険が多い外で生きることの厳しさを思い知らされます。学内に葬ってあげたかったのですが、人気者のハナちゃんのこと、沢山の人がお参りに来てくれた場合、お墓を作ったことがばれて、猫嫌いの人の神経を逆なでするやもしれず。苦渋の決断でした。
首輪をつけた姿で突然学芸大に現れ、そのまま学芸大の招き猫になったハナちゃん。最後の、その瞬間が、安らかであったことを祈るばかりです。ハナちゃんの思い出はこれからも我々とともにあります。
2011年11月24日木曜日
訃報 はなちゃん
2011年11月24日木曜日午前11時、はなちゃんは帰らぬ猫となりました。
いつもの寝床にしている箱の中で、しずかに横たわったまま息絶えていたそうです。
23日は、いつものとおり、元気にご飯を食べていました。
背中をなでると、こちらを「きっ」と見て、噛もうとしました。
なのに、なぜこんなに急に。
守衛室の台に上って通行する人に挨拶したり、寒くなると守衛室の中で
ストーブにあたったり、結構優雅に暮らしているように見えました。
年齢はわからないけれど、7〜8歳位でしょうか、まだまだ若かったはずです。
もし病気なのだったとしたら、気づいてあげられませんでした。
ごめんなさい。はなちゃん。
あまりに突然のことで、涙も出ません。
日が暮れてから、飯島記念会館の庭に、お墓を作ることにしました。
これからも大学を見守っていてくれるように。
はなちゃん、今まで有難う。お疲れ様でした。
2011年11月2日水曜日
さようならシルビー
10月26日、それまで人を寄せ付けなかったのに、顔を見るなり「ニャー」と鳴きました。
触っても撫でてもじっとしたまま。座ることもままならない様子です。
そのまま大学の近所の「ヨコヤマ動物病院」に入院することとなりました。
入院の前、白湯を差し出したところ、ごくごくと美味しそうに飲んでくれました。
それが、自力で水を飲んだ、最後でした。
6日間の入院で、点滴と給餌で大分落ち着きを取戻したものの、自ら
食べる気力は、ついに戻りませんでした。
11月1日の午後、退院して、暖房の効いた室内で、半日を過ごしました。
流動食は、戻さず、しっかり飲み込んでくれました。
2日の深夜2時頃までは、ぐったりしながらも、寝返りをうったりしていました。
そして7時半、動かなくなっていました。
恐らく20歳近くの高齢でした。
亡くなるまでの一週間、生まれて初めてのことを沢山体験しました。
それが少なからずストレスだったかもしれません。
特に、退院後、約40分間の車での移動は辛かったことでしょう。
それでも泰然として慌てず、全て受け入れ、
一時は、甘えるようなしぐさをする余裕さえ、見せていました。
ずっと独りで生きてきたシルビー、
立派な最後でした。
シルビーを知っている全ての人、シルビーを褒めてあげてください。
2011年9月1日木曜日
2011年8月11日木曜日
2011年8月10日水曜日
2011年7月20日水曜日
2011年5月15日日曜日
2011年5月1日日曜日
2011年4月17日日曜日
2011年4月12日火曜日
2011年4月6日水曜日
単位取得満期退学
2011年2月15日火曜日
2011年1月19日水曜日
2011年1月16日日曜日
2011年1月8日土曜日
さようならしんちゃん
まだ若かったしんちゃん。新学期に大学に捨てられたからしんちゃんと名付けられたのでしたね。巨体に似合わず、人なつこく気の優しい猫でした。一昨年亡くなったすず姉さんを慕っていつも一緒にいましたね。すず姉さんが亡くなってからは引っ込み思案になりましたが、夕食時には毎晩元気な姿を見せてくれていました。自分を捨てた人も、轢いた人をも恨まず、慈恵院でお別れしたときも、静かに微笑んでいるかのように安らかなお顔で横たわっていました。
この世は理不尽なことばかりですね。しんちゃん、今ごろ大好きなすず姉さんと天国で再会していることでしょう。痛かったでしょう、しんちゃん。もう苦しまなくてすむのですね。どうか安らかに眠って下さい。